―レオン、久しぶりね。
来賓用―迎える者などいなくなり、今後使われることはないだろう寝室の一部屋で。
似つかわしくはない、優雅さを見に纏いながらその女は微笑んだ。
「エイダ…」
もう発せらる事はないと思っていた名前が滑らかに口から出ては虚空に溶けた。











Alte Liebe rostet nicht











今も悪夢は続く。
『あの時』から数年経った今でも心が開放されることは無い。あの場所でまだ動けずにいる。
友人とどんなに騒いだ日の夜でも。
過去に思いを馳せる事などないと思われた日の夜でも。
戒めかと思うような悪夢を見る。




その夢の始まりは彼女で始まり、彼女で終わる。加わる血生臭い腐った鉄の匂いはほんの序章しかすぎない。
黒い髪に白い肌、それに紅い唇。『エイダ』は目を見張るほどの美人だった。
中国系と思わせるも、瞳の色は欧米色で。猫のような顔を思わせるも、その横顔は狡猾な豹に近い。




「レオン」
夢の中で彼女の声が聞こえる。もう決して現実には聞くことの出来ない声。




自らの掲げる正義に、消えることはなく底は見えないほど深い傷を残した。
―自分は守りきれなかった。
それも愛した―その場で生まれた早急な愛だとしても―女性を。
命が細い紐筋にぶら下がり、死か生かを分け隔てる極限状態、怖さや不安を隠すように孤独を舐めあうような愛ではなかった。





『何かを手に入れるのには、他の何かを犠牲にしなくてはならない。』
何処かの賢人がいかにも言い出しそうな文句だ。
それに例えてみせるなら、レオンは生と引き換えにエイダを奪われた。
何に?
自分の無力さ?力の無さに?―もし、あの時訓練され抜いた今の自分なら彼女を失わずに済んだだろうか。
過去を後悔しても時間は戻らないと知りながら、もしと考えない日はない。
その後には言いがたい孤独感が襲うのだ。






まるで自分の身体の一部、臓器がひとつえぐり取られたような空虚感を埋める手段があれば教えて欲しい、と何度も思った。
感情の部分でエイダが占めていた部分と、向けた愛情の居場所の代行品を求めようとした。





馳せる思いの時間を忘れるように合衆国の養成プログラムに打ち込む。
任務を遂行し、達成したときの満足感が償いにも思えた。

それなりの出会いもあった。
二、三回のデートを重ねて、ベッドを供にする機会もある。
だとしても、二重三重に鍵をかけて閉じ込めたはずの想いは簡単に抜け出す。
―今、腕を回している女性が彼女なら。
―エイダなら





彼女とは似ても似つかぬブロンドの女性を相手にしても姿を重ねようとしている間柄がそう長く続くはずもない。
―もう二度と手に入ることはない。
言い聞かせても体は言うことを聞かないし、心は想うことをやめない。





『警告』と赤い言葉で大きく書かれた書類を見たのはそんなある日だった。
過去と分別をつけるためにも所属している、合衆国きっての諜報機関に『エイダ・ウォン』の調査を依頼した結果の書類。
今となっては知ることの出来ない、靄霞かかった彼女の全部を知っておきたかった。
アンブレラの最高傑作だと謳ったウィルスサンプルを奪取するスパイ。
感情の読み取れない表情も、次第に心を触ることを許してくれた女性。



どんな言葉が報告書に書いてあったとしても、覚悟は出来ていた。
もうこれ以上の『絶望』はないだろう現実を今味わっていると思っていた。
一ページ目をめくるまでは。




『エイダ・ウォンに関する調査報告』
書かれている内容は事実だろう、そう諜報機関の信頼性は国きってのものだ。
それでも嘘だと叫びたい衝動をどうにか抑える。





―生きている
―エイダが?
歓喜と裏切りが一気に交錯する。かるいめまいすら覚えるほどだった。
―生きている、それなら何故…
彼女が生きている。それはある意味何を引き換えても魅力的な希望に違いなかった。
生きてさえいれば、求めることができるし、触れることもできる。未来という言葉を実感できるかも知れない。
それと引き換えに暗澹たる感情がふつふつと沸いてくる。

―現在
―スパイ活動



そして
―アルバート・ウェスカーと関係
その先を読む気力を削がれる内容。アルバート・ウェスカー…STARS隊長でありながらアンブレラ事件の元凶。
町ひとつを破壊するウィルスに少なからずとも中枢に関わっているだろう人物に現在エイダが加担している?





またしても体が闇に包まれるのを意識した。



報告書を投げやり、目を背けた。
白い紙切れに並んでいるパソコンで出力されたアルファベットと、
まだ温かい彼女の体を自分の腕で抱きしめながら振るえる唇でエイダが言った言葉。
どっちを信じる?愚問だ。

















だから凄まじい反動がレオンを襲う。
夢ではない、実際にその場にいて息をして動いてしゃべるエイダを前にして。
レオンの心は揺さぶられる。


『あの時』のまま変わらない声と美貌で、微笑みながら向ける瞳を前に。
どんな感情も詮索も受け入れない彼女を前に、どうするべきなのか一瞬解らなくなる自分がいた。


ただ、失われたはずの、求めていた自分の一部が目の前にあるのは紛れもない真実。